イラストレーター岸田メル インタビュー前編「家族も友達も信用できず、アニメやゲームだけが救いだった」

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人生の多くの時間を費やす「仕事」において、自分の「好き」を見つけ、その「好き」を行動に起こしていくことで、人生をより豊かなものにできるのだと思います。

その好きを見つける応援をするため、学生生活がもっと楽しくなるお役立ちマガジン「From Aしよ!!」では、さまざまな「働くヒト」に光を当て、その過去から今、そして未来についてうかがい、働く楽しさ、働く意義をお届けしていきます。

本連載の第4回目に登場するのは、イラストレーターの岸田メル先生。ゲーム『ロロナのアトリエ』以降シリーズ3作のキャラクターデザインを手がけたほか、テレビアニメ『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』や『花咲くいろは』ではキャラクター原案を担当。繊細で空気感のある美少女のイラストに定評があり、「美少女を描かせたらメル先生の右に出る者はいない」とさえ言われるほど人気のイラストレーター。

一方で、謎のお面で両手に剣をかざしたり、金粉塗れになったコスプレ画像を自らネット上に公開。ご自身の作品以上に、「岸田メルという(変わったことをする)イラストレーター」として、ネット上で最も知名度が高いイラストレーターの一人でもあります。

インタビューの前編では、かつては「メチャクチャ適当な人間だった」という岸田メル先生の来歴を中心に、後半ではその続きやイラストレーターとしての指南も飛び出しています。また、岸田メル先生に憧れて、岸田メル先生が関わるアイドルグループ・虹のコンキスタドールに加入したという現役中学生の大塚望由(おおつかみゆ)さんも登場。

岸田メル先生がアルバイトからどんな教訓を学び、また何を考えて「イラストレーター」という枠組みに留まらない活動領域を広げ続けているのか。それは、これから仕事をする、あるいは今仕事を頑張っている人に、示唆を与えるお話でした。

コスプレ写真がきっかけで、イラストに留まらないジャンルで仕事をするようになった

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——まず、岸田メル先生の現在のお仕事について教えてください。

岸田メル(以下、メル) いろんなジャンルがあるイラストレーターの中でも、アニメやゲーム、ライトノベルといった、いわゆるオタク系ジャンルで可愛らしい女の子のイラストを描いている、というのがメインの仕事です。偉そうな印象がして苦手な言葉なんですが、最近だと「絵師」という肩書がわかりやすいかもしれないです。

——イラストレーターとしての活躍だけでなく、バラエティ番組『いらこん』のサブパーソナリティや、アイドルグループ・虹のコンキスタドール(以下「虹コン」)への協力など、さまざまな分野でも活躍されてらっしゃいますね。

メル ここ最近の3~4年くらいで、ゲームのPRイベントやトークライブなどで人前に出てしゃべったり、アイドルに関わらせていただいたり、ちょっと違ったことをやるようになってきました。

2011年に悪ふざけでTwitterにコスプレ写真をアップしたのがきっかけで、「こいつ、変なやつだぞ!」というのが広まった結果、さまざまな場に呼んでもらえるようになりました(笑)。

岸田メルさんのTwitterアカウントより
岸田メルさんのTwitterアカウントより

それと、30歳を過ぎてからアイドル文化が好きになったんですが、最近は『ラブライブ!』や『IDOLM@STER』といった二次元のアイドルと、三次元のアイドル、両方が好きな人も増えたので、三次元のアイドル業界の人からも「一緒に何かやりましょう」と言ってもらえる機会が増えました。虹コンは、イラストSNS「pixiv」発のアイドルということで、僕がイラストレーターでアイドルに興味があるから呼んでもらったんだと思います。

家族も友達も信用できず、ゲームやアニメだけが救いだった中学時代

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——メル先生は現在も名古屋在住ということですが、どのような幼少期だったのでしょうか?

メル 名古屋生まれの名古屋育ちで、粘土遊びや工作、お絵かきが比較的好きな子どもでした。アニメも観てたし、ファミコンもやっていましたし、ガンプラをつくるのも好きでしたね。

まず、僕は『機動戦士ガンダム』が好きだったんです。本放送は1979年なのでリアルタイム世代ではないのですが、名古屋テレビが製作に入っているので、名古屋ではよく再放送されてたんです。

また、当時はガンダムを二等身にデフォルメした「SDガンダム」シリーズのガシャポンやカードダスが流行っていました。戦国時代をイメージした「SD戦国伝」や、ファンタジーの世界観で展開された「SDガンダム外伝」、両方好きでしたね。あと「SDガンダム外伝」版の『ドラゴンクエスト』みたいなゲームボーイのRPGソフト『SDガンダム外伝 ナイトガンダム物語』にハマって、そこから剣と魔法といったファンタジーの世界観やRPGにのめり込んでいきました。

中学生になって、『ガンダム』以外のアニメを見たり、ファンタジー系のRPGもいろいろやる中でも、当時のスクウェアが手がけていたゲーム『ロマンシング サ・ガ』シリーズが一番好きでした。このシリーズのイメージイラストを描いていた小林智美さんの絵が好きで、今も影響を受けていますね。その頃に、「こういうファンタジーの絵をできれば描いてみたい」と自覚するようになりました。

——中学生の頃にもイラストを描かれていたんですか?

メル 落書き程度のものですね。ただ、学校の休み時間に落書きをしていて、友達が「何描いてんの? お、うまいね~!」みたいに言ってくるノリが嫌だったんです。「お前らがサッカーしてる間に俺は絵を描いてるんだから、おまえらよりうまいに決まってるだろ!」って思っちゃう。

それに、アニメとかって昔はマイナーな趣味だったはずなんです。今はネットがあるので、みんなで売れているアニメを見たり、ゲームをやって晒し合ってますけど、僕は「みんなで同じ物を見て、何が楽しいんだ」とか「なんで自分の好きな物について、ほかの人と話して共有しないといけないんだ」って、思ってしまう方なんです。当時はまだオタク趣味は自分だけの宝物で、それが“救い”みたいな感じでした。家庭環境もあまりよくなかったし、学校も気分が乗らなかったら休んだり、半ば引きこもりのようで、友達や親を信用せずに、ファンタジーの世界しか信用しない……みたいな。

帰宅部で友達もあまりいなかったので、すぐ家に帰って寝るかゲームするか、という生活でした。ただ、絵を描くのが好きだったこともあって、高校は美術系の系列大学があるところを選びました。

打ち上げができると思って演劇部に入って、演劇を続けながら美術系の大学に進学

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——内にこもるタイプだったんですね。高校に進学されてからはどうだったんですか?

メル 公立の小中学校だと“同じ街の狭いコミュニティ”という感じですけど、地元から少し離れた私立高校に進学して環境が変わったので、自分としても気が楽になって比較的明るくなりました。

高校では演劇部に入りました。小学校の時には合唱部に所属していたんですけど、いろんな学校が参加するコンサートの後に、お菓子を食べたりジュースを飲んだりする打ち上げがあって、それが子ども心に楽しくて。それで、高校でも打ち上げができる部活に入ろうと思って演劇部を選んだんです(笑)。まぁ、結果的に打ち上げとかはなかったんですけど(苦笑)。

あと、中学生のときに単館系の邦画やフランス映画を観るのにハマっていて、少しそういうものに憧れがあったのかもしれません。

——そういったカルチャーの情報はどこから得ていたんですか?

メル 当時、僕の家にはインターネット環境がなかったので、ビデオショップの棚を見たり、本屋に行くのも好きだったので映画雑誌とかを読んで情報を得てましたね。あと、僕は雑誌の『ファミコン通信』(現『ファミ通』/KADOKAWA)が好きで、ゲーム以外のサブカルチャーも網羅していたので、よく読んでいました。ほかにも、『SEGA SATURN MAGAZINE』(ソフトバンククリエイティブ)や『SATURN FAN』(徳間書店インターメディア)とかのゲーム雑誌を買ってましたね。僕はセガサターン派だったので。

——ちなみに、高校生になって、イラストはどれくらい描かれてましたか?

メル 基本的に、紙の裏に落書きをしていたくらいです。でも、漠然と将来はデザイン系のことをやりたいと思っていたので、三年次には美大進学志望者向けの美術補習を受けたり、美術予備校に半年くらい通って受験デッサンをやったりしてました。それで、芝居を続けながら、名古屋の美術系の大学(名古屋芸術大学)に進学したんです。

大学も中退、将来設計も場当たり的 「メチャクチャ適当な人間だった」

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——大学はすぐに退学されたとのことですが?

メル 今考えたらそうでもないんですけど、自宅から電車で1時間かかる学校が遠く感じて、入学してから半年くらいであまり学校に行かなくなってしまったんですね(苦笑)。それに、大学の授業もその頃の僕にとってはあまり面白くなかった。というのも、PhotoshopやIllustratorの基本的な使い方とか、興味があれば独学で一日で習得できるようなことを、みんなに向けて丁寧に講義しているわけで、それはあまり効率が良くないな、と。もちろん、最初の一年は基礎を学んで、後々もっと専門的になっていくんだろうから続けていたら役に立っただろうとは思いますが……。そういうこともあって、大学に行くモチベーションが自分の中でなくなっていって、辞めてしまいました。

その頃は、高校の先輩がやっていた小さい劇団に入っていて、大学の講義よりも芝居のほうが楽しかったんですね。大学一年生の時には、高校の部活で顧問だった人の知り合いに名古屋のタレント事務所関係者がいたので、その事務所に入って、ドラマ『キッズ・ウォー』に出演したりもしました。ただ、当時の僕はメチャクチャ適当だったので、大してレッスン料も払わず、そのうち行かなくなったりして……。

——当時は俳優になろうと思っていたんですか?

メル 俳優じゃないと嫌だ、とは思ってなかったです。やりたいことがいろいろある中の一つとして、「なれたらいいな」くらいな気持ちでした。その頃はとにかく面倒くさいことはやりたくなくて、その場その場でやりたいことしかやってなかったので。

劇団を移りながら、24歳までずっと演劇をやっていました。ただ、続けていく中で、自分にあまり才能がないこともわかってきたし、商業演劇で売れない限り演劇はお金にならない。むしろ、増え始めていたイラストの仕事でもらったお金を公演の開催費用に充てたりしていたので、ジレンマみたいなものはありましたね。

「お絵かき掲示板」自体の経験は、イラストレーターとしての自分に大いに役立っている

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——その頃にはイラスト仕事を始めていたのですね。本格的にイラストを描くようになったのは、いつ頃ですか?

メル 大学進学の時にネット環境が整って、当時、流行っていた「お絵かき掲示板」に絵を描いて投稿するようになりました。それが『キッズ・ウォー』に出演してたのと同じくらいの時期ですね。

名前の通り、絵を投稿するBBSのようなもので、企業がやっている大手サイトから個人が立ち上げた無数のサイトまで、当時は大流行していたんです。僕も、お絵かきポータルサイト最大手「お絵かきBBS.com」や、絵の上手い人が集いがちな小さなコミュニティ、自分のHPにも絵を載せるようになって、ネット上でのお絵かき仲間が増えた。

投稿するとみんなが褒めてくれるので、毎日描くようになって。僕はそもそも自己評価の低い人間だったから、褒めてもらえるとモチベーションになるんですよね。お絵かき掲示板って基本的には褒め合いの文化だったので、絵の出来栄えは褒められるレスの温度感で判断してましたね。「良いですね」くらいだとあまり良くなくて、「うわぁぁぁ! 感動で手が震えます!」って過剰な喜びの表現とかが返ってきたら、よく描けたんだなって(笑)。

『melbook. 2014 winter』の表紙より
『melbook. 2014 winter』の表紙より

——「お絵かき掲示板」で技術的に学んだことはありますか?

メル 毎日投稿するイラストも、一作品として完結したテーマを設けないといけない。そうやって、人にどういう印象を与えるかを意識しながら、時には一日2~3枚のイラストを描いた経験は、相当役に立ちましたね。それに、お絵かき仲間が投稿したうまいイラストを見て、いろんな手法に刺激を受けて、ほかの人の画風を取り入れてみたり。お絵かき掲示板は機能が限られているので、同じツールを使っていても手順を間違えると再現できなかったり……そんなパズルゲーム的な面白さもありました。

お絵かき掲示板の住民って奥ゆかしい人ばかりだったので、仲良くなったらアニメやゲームの話はするけど、お互いのイラストの話とかはしないんですよね。だから、見て盗む。だって、「お目汚し失礼します」ってコメント付きで投稿するのが普通だったんですよ。すごいですよね、「私の描くゴミみたいな絵を視界に入れてしまってすいません」ってことですから(笑)。

竹さんをはじめredjuiceさんやりょーちもさん、abecさんや堀口悠紀子さんなど、今第一線で活躍していて比較的世代が近い作家さんは、大体当時のお絵かき掲示板界隈で「めちゃくちゃ上手い人がいるぞ!」って目立っていた方が多いんですよね。僕はそこまで上手くなかったんですが、僕以外にもその経験は大きいと思うんです。

23歳で焦りも生まれて、本気で絵で食べていくために芝居を辞めた

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——商業デビューのきっかけは?

メル そうやって絵を発表しているうちに、20歳くらいの時に自分のHPを見てくれた人から、仕事の打診メールをいただくようになって。そこから3年ほどは芝居と並行しながら、イラストの仕事を始めました。

初めていただいたお仕事は、高校生向けのマンガ形式の参考書でしたが、それは結局うまくいかなかった。マンガを描くのも初めてだったのに、100ページくらいの分量があって、進行に遅れが出るようになってしまって出版社の方も怒ってしまって……。当時はバカだったから「やった! 絵を描いてお金をもらえるぜ!」くらいにしか思ってなくて、全然責任感とかなかったんです(苦笑)。

結局その後、2004年に『季刊エス』のイラスト寄稿で商業デビューすることになりました。

——「働く」意識の転機はありましたか?

メル 「働く」意識は、イラスト仕事をしていく中でちょっとずつ身についていきました。23歳になった時、周りは大学を卒業して社会人一年目で、「そろそろちゃんとしないと」っていう焦りも生まれてきた。それで、今の自分がお金を稼げる手段を考えたら、イラストしかなかった。絵の締め切りと芝居の稽古を両立するのも難しかったので、本気で絵で食べていくために芝居には一区切りをつけようと決めて、イラストの仕事に集中するようになりました。この頃になると、だいぶ精神が真面目になりましたね(笑)。

アルバイトから身をもって学んだ失敗が、教訓として生きている

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——それまでアルバイトはされてましたか?

メル 学生時代には、ファストフードやレストラン、コンビニで働いてました。求人が多くて、時給もそこそこだったので。卒業後は、ゲームのデバッグのバイトを少し。でも、デバッグのバイトって実は過酷なんですよね。あと、格闘ゲーム班のバイトリーダーみたいな人のキャラが濃すぎて、その人と一緒の時は特に辛かったです。常に革ジャンでキャップをかぶって無精ひげ生やしたまさに格闘ゲームの登場人物みたいな人で、ちょっと下手なプレイをすると「これだからビギナーは…(肩をすくめて呆れ顔)」みたいに馬鹿にしてくるという(笑)。バイト自体は楽しかったんですけどね……。

その頃、さっき言ったマンガの仕事のお話をいただいて、両立が難しかったのでバイトは辞めました。

——アルバイトで得た経験や学んだことはありますか?

メル 自分が本当に適当な人間だということを自覚しましたね……。他人の忠告や説教をまともに聞かないアホで、自分で痛い目を見て初めてわかる、みたいな感じだったので、いろんな失敗をして「社会人は時間を守らないといけない」というレベルで身をもって学んでいきました。だから、当時は遅刻魔でしたが、今は待ち合わせや入り時間は厳守してますよ。絵の納期については守りたいな…という希望というか…あまり聞かないでください。

——バイトも演劇も辞めて、絵だけで食べていける見込みはあったのでしょうか?

メル 半年後くらいにひとり暮らしを始めて、最初は楽ではなかったですが、すぐにゲームの仕事で『ロロナのアトリエ』が決まったのが大きかったですね。ゲームの仕事は分量があってまとまったお金ももらえたし、「アトリエ」シリーズでたまたま僕自身の認知も広がった。そこからは、すごく儲かってもないけどお金には困ってないですね。

テクニックは描きたい絵があって初めて身につくものだから、テクニックだけ収集しても意味がない

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——話をうかがっていて感じたのですが、ずっとイラストレーターになろうと思っていたわけではないのですね?

メル 中学生の時に、「イラストレーターっていいな」とか「ゲームと関わる仕事がしたい」と思っていたのが、結果的に叶ったというか。イラストが好きでひたすら描いていたら、仕事になっていたという感じですね。

——最近ではネット上に、イラスト上達のための小技なども多く載っていますよね。そういったものを参考にして、画力の上達を図ろうとはしていましたか?

メル 「絵が上達したいから」という理由でネット上のTIPS(小技)みたいな知識を収集してもあまり身にならないと思います。それよりも、毎日好きな絵を描いていたほうが上達します。

ただ、具体的に描きたい絵があって、あるポイントだけどうすればいいかわからない時にテクニックを調べる——女の子を描きたいけどどうしてもゴツくなってしまうと困っている時に、「女の子は肩幅が細くて、腰を太くすればいい」というテクニックを知る——そういう描きたいもののための試行錯誤は、今でもやっています。

——メル先生が意識されていたイラストレーターや影響を受けたコンテンツはありますか?

メル ゲームが好きなので、当時カプコンのイラストレーターだったあきまんさんとか西村キヌさんにはすごく影響を受けました。可愛らしさ、立体感、迫力、色彩の綺麗さが、イラストに共存していて……。

絵柄は、少女マンガのCLAMP先生やアニメ『新世紀GPXサイバーフォーミュラ』のキャラクターデザインを務めていたアニメーターのいのまたむつみ先生の影響があります。大きい目と細い体、キラっとした絵のバランスがすごく好きでした。

あとは、アニメ『リトルウィッチアカデミア』の監督・吉成曜さん。影の付け方やコントラストの付け方を、なんとか自分の絵に取り入れられないかなって思っていました。吉成さんの存在に気づいたのは、キャラクターデザインを担当した『ヴァルキリープロファイル』で、特に影響を受けたのは2005年のRPGゲーム『グランディアⅢ』のキャラクターデザインでした。

ほかにも、イラストレーター・放電映像さんは、「俺が描きたかったのは、こういう感じの絵」というものを描いてましたね。でも、逆に、放電映像さんがいるわけだから、放電映像さんみたいなイラストを描いても仕方ないわけですよ。すごい陳腐な言い方なんですけど、僕はオンリーワンになりたいんですよね。もちろん部分部分で影響を受けることはありますけど、やっぱり人と同じことはしたくないんです。それに、ゲームの仕事を始めたことで、その頃には自分の画風や方法論もある程度確立されていきました。

ここまで、岸田メル先生の来歴を中心に、イラストレーターとなった経緯や、お絵かき掲示板時代の貴重な経験などをお届けしてきました。

続くインタビュー後編では、岸田メル先生を駆り立てる焦燥感についてのお話や、岸田メル先生が協力するアイドルグループ「虹コン」の大塚望由さんへのインタビューを通して、「イラストレーター・岸田メル」の人となりと、「イラストを続ける秘訣」についてうかがっていきます。

企画・取材・構成:須賀原みち・新見直(KAI-YOU) 撮影:市村岬

後編はこちら>>イラストレーター岸田メル インタビュー後編「飽きたら死ぬっていう焦燥感がある」

※この記事は>>KAI-YOU.netが企画制作したものです。

 

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