お菓子メーカーのテレビCMで、ド迫力の歌声を披露し、そのインパクトよりひそかに注目を浴びている17歳の女子高生がいます。
彼女の名前は、鈴木瑛美子(すずき・えみこ)さん。CMソングは現在、ミュージックビデオとしてyoutubeに掲載され、2017年3月30日時点で、視聴回数は 88万回以上を記録しています。
プロではなく、部活でバレーボールをするフツーの女子高生がなぜ、テレビCMへ出演することに? 気になる彼女に話を聞きました。
腰のケガを乗り越えた経験が、天性の歌声をより感動的に
Q:まずは、テレビCMへ出演することになったきっかけを教えてください。
きっかけは、関ジャニ∞さんのテレビ番組です。
番組では、プロ歌手の人たちがカラオケの点数を競います。私はアマチュア代表として、予選を勝ち上がっての出演でした。そこで歌う私のパフォーマンスをテレビで見たお菓子メーカーの社長さんが気に入って、声をかけてくださったと聞いています。
Q:鈴木さんが歌い始めたのは、何歳くらいからですか?
最初にステージで歌ったのは4,5歳です。
小さいころから歌を歌うことは大好きで、ミュージカルの演出や作曲をする父と、同じように舞台に立っていた母と、2歳年上の憧れの姉と、私の家族4人の周りは、いつも音楽と歌であふれてました。
Q:歌を習い始めたのはその頃ですか?
いえ。私は、歌を誰かに習った経験はないんです(笑)。
父は歌を教えることもしているんですが、そんな父の指導を受けたことも一切ありません。しいていうなら、動画再生サイトのミュージックビデオで歌う、海外アーティストの一人ひとりが私にとっての先生。私の歌は、それをお手本にした完全な自己流なんです。歌は、自分が好きだから聴いて歌っています。とても個人的な趣味なんです。
そんな私が、ちゃんと歌おうって、意識したのは中学生のころでした。中学1年生のときに、バレーボール部の練習中に腰を痛めました。分離症(ぶんりしょう)というケガで、プレーできない期間が何か月もあったんです。
Q:当時はどんな気持ちだったのでしょう?
こんなに頑張ってるのに、なんで自分!できないの! って、もう、すごくショックで。
1年生の新人戦をキャプテンとしてスタメンで戦ったし、その責任から、もっと気を付けながら練習できたんじゃないかって、悔やむ気持ちもありました。
そんなふうに落ち込んで、『ドリームガールズ』という映画をたまたま見ていたときです。
私は、役者として映画に出演していたプロ歌手のジェニファー・ハドソンに心を奪われました。彼女の歌う『I AM CHANGING』という曲の歌詞のすべてが、自分の状況にぴったりと重なったんです。
「たくさん辛い思いをしてきた。もう、それは終わり。私は変わる」というような内容の歌詞で、以来、私は変わりました。
英語の弁論大会で千葉県代表として全国大会へ
Q:どんなふうに変わったのですか?
ケガの原因を自分以外へ求めたり、先生の指導について来ないチームメイトをもどかしく思って、私が独りよがりな行動をとったりするのは、違うなって。周りを責めるのではなく、自分にできることをひたむきにやろうって思いました。
結局、リハビリを終えて部活へ戻っても、中学生のうちにレギュラーへ戻ることはできなかったんですが、それでも、最後の最後に、友達にいわれて一番うれしかった言葉があります。
3年生になったときの話です。中学総体のための壮行会がありました。私たち3年生が廊下に並んで入場を待っているときに、バレーボール部の仲間の会話から「ルカとかさ……」って声が聞こえたんです。
ルカ、というのは、部活でプレーするときの私のコートネームで、愛称のようなもの。試合のときなどに使います。
自分が呼ばれたと思った私は、「何?」って声の方向へ返事をしたんです。すると相手が、「いや、ホントにうまいのにねって話をしてたんだ。ルカ、バレーボールうまいじゃん」って私のプレーを褒めてくれたんですよ。
部の仲間は、まったく試合に出られず、それでも頑張って練習を続けて成長した私を見てくれていたのかなって。本当にうれしくて、ふてくされて部を辞めず、最後まで続けてよかったって思えました。
Q:ケガをして部活の練習に参加できない間は、エネルギーを発散できずにもどかしさがたまると思います。何かで発散や解消をしていましたか?
たまたまなんですが、英語のスピーチです。でも、夢中になって取り組めたので、部活でプレーできないもどかしさや、ケガをした悔しさをまぎらわすことができました。
千葉県の中学英語コンクール・スピーチの部へ出場したんですが、あのとき英語の発音を細かく指導してくれた中学校の先生には、とても感謝しています。
主に、アメリカ英語の発音を習ったんです。『R』や『L』の難しい音をうまく発音できたときに、すごく褒めてくれたことが当時の私の励みになりましたね。
おかげで、結果は地区優勝、県大会ベスト3。千葉県の代表となって、全国大会へも出場しました。そのときに知りあえた友達とは、今も連絡を取り合っていて、私の出たテレビ番組やCMを見ては、応援してくれています。
『横濱ゴスペル祭2016』のステージに舞い降りたものとは
Q:これまで歌ったステージで、鈴木さんがもっとも自信のあるステージを教えてください。
それは間違いなく、2016年に横浜で歌った、『横濱ゴスペル祭2016』のステージですね。そこで歌った『I AM CHANGING』 は、これまでで一番、自信があります。
Q:よいパフォーマンスを発揮できた理由に、心当たりはありますか?
あります。小学校2年生のとき、自分で作った楽曲でエントリーするイベントへ参加したときのことです。当時、私は本番のステージ直前までお人形遊びをしていました。
そこに家族が来て、「歌う曲のエレクトーンの音色を変えたから、練習したほうがいいんじゃない? 」と教えてくれたんですが、遊びに夢中だったので、気にはなったけど練習をしなかったんです。
そして本番。私は、聴きなれないエレクトーンの音色に動揺し、曲に指定されたキーとは違うキーで歌い出してしまいました。
幼い私はそれが悔しくて、ステージを終えたあと、鼻水をたらしながらずっと泣いてたんです。
そのとき幼いながらに、気になったときは、歌う前にちゃんと練習したり、確認したりしなきゃいけないんだって思いました。
『横濱ゴスペル祭2016』のステージでは、このときの苦い経験を生かして、『I AM CHANGING』 を歌えたんです。
あのときは、ステージ直前まで、声の調子が悪くて不安を感じていました。だからずっと、とにかく曲を聴いたりちょっと声を出したりしてたんです。
そしてステージに立つと、それまでの声の不調がウソのように消え去り、私は歌の世界観に入り込めました。まるで、ジェニファー・ハドソンが自分に舞い降りて来たような気持ちでした。
夢は、2020年の東京オリンピックで歌うこと
Q:来年は高校を卒業することになりますが、進路や夢を教えてください。
今の夢は、三年後のオリンピックで歌うこと。歌えたらどんなに素敵かと思います。
進路は今、いろいろな経験をして、自分に何ができるのかを探してるんですが、演技をしながら歌うミュージカルの世界には憧れます。
あとは、英語の勉強はもっとやりたいと思っているので、語学系の大学へ進学したいなあと、なんとなく考えてるくらい。ただ、どんな状況でも、これからも歌ってはいきたいです。
まとめ
ステージで歌う鈴木さんは輝いてますね。部活での挫折や失敗を乗り越えて、成長していく姿はたくましくもあります。来年は高校を卒業することになるようですが、同年代の期待の星として、今後の活躍にも期待です!
取材、構成、文:verb
撮影:芹澤裕介
取材撮影協力:ロイヤルヒルズ木更津ビューホテル