今後の活躍が期待されるハイブリッドロックバンドBentham(ベンサム)。エモーショナルな歌声が魅力のヴォーカル小関竜矢さんに、長く続けたというハウスクリーニングでの仕事内容や、責任の重みを知ったという胸打つエピソード満載のアルバイト経験を伺いました。
父の会社で働いたハウスクリーニングが一番長く続いたバイト
――様々なバイト経験があるそうですが、最初のバイトから教えてください。
高校に入ってすぐの16歳の時ですね。原付バイクを買うお金が欲しくて、パっと思い浮かんだのがコンビニのバイトでした。働き始めてみたら……熱さを売りにしていたホットスナックが、本当にものすごく熱くて(苦笑)。高温のオーブンから商品を取り出すから、火傷もしょっちゅうだったんですよ。なので、それを注文されると“はぁ、熱いのに……”みたいな(苦笑)。仕事をするって大変なんだなと思いましたね。
――最初のお給料はバイク代に?
バイク代の資金になりました。その後、高1の夏休みに、もっと時給のいい塗装のバイトをするようになったんです。
――建物の塗装ですか?
「はい。マンションの屋上の手すりをひたすら白く塗るっていう。朝4時半集合とかもよくあって、炎天下でひたすら作業するのは、かなり大変でしたね。時給は良かったんですけど長続きはしませんでした」
――長く続いたバイトというと?
実家がもともと内装屋で、掃除屋からスタートした父の経験を活かしてハウスクリーニングも請け負っていたんですよ。そこで働いたのが一番長いですね。最初のころは原付免許を活かせるピザ屋のデリバリーとか蕎麦屋の出前をしながら、マンションや戸建ての引っ越し後の清掃の仕事をするようになって。トータルで7、8年くらい続けました」
――ハウスクリーニングは、ひとつの現場につきどのくらい時間がかかるのでしょうか?
あまり汚れていない部屋であれば最短で2時間、汚れのひどいところは15時間くらいですね。ハウスクリーニングの仕事は時給ではなくひとつの現場でいくらという感じなので、きれいに掃除されている部屋だと、住人は退去されているんですけど、小声で「ありがとうございます、よろしくお願いします」って挨拶してから掃除をしていましたね。
仕事を請け負うことの責任に気付かされた
――キッチン回り、水回りなんかは特に落ちない汚れがありそうですけど……。
基本的に“落ちない汚れはない”というのが、業種的な概念なんです。目に見える汚れはすべて、こするなり、拭くなり、はがすなり、熱するなりして落とすんです。汚れに合わせて特殊な洗剤を配合したり、素材を傷めないように洗剤をつけおく時間を調節したり……現状より質を下げない気配りもします。あと、窓サッシを掃除した水が垂れて階下の方からクレームがきたときには、最後に階下もきれいにしたりとか。
――そうすると、好印象として残りますね。
うちは自営業の小さな会社だったので、僕の仕事で会社の印象も決まってしまいますからね。やっぱり父の姿を見て育ったので……。
——なにか特別なエピソードはありますか?
店舗の掃除をしたときに、一晩かけて丁寧に作業したんですけど、クレームが入ってしまったことがあって。その時に、すごく低姿勢で謝る父の手が、ギュッと握りしめられているのを見たんです。すごく悔しいはずなのに、こらえている姿とか、お客さんに満足していただく難しさとか。それを見たときに“仕事”の難しさや、請け負うことの責任を感じました。
——そんなことがあったんですね。小関さんがクリーニングをするうえで特に気をつけていたことはありますか?
最後まで入居者の目になって汚れが落ちているかを確認することですね。たとえば、お風呂場にしても、一度掃除をしたあとに、お湯を張っていない浴槽に入ってみて、その目線でもきれいに汚れが落ちているかを確認したり。
――そこまでやってくれるお掃除業者って、なかなかいないような気がします。
次に入居する方に気持ちよく引っ越してきてもらいたいですからね。他社がやらないような隅々まできれいにしよう!っていうスタンスではありました。あまりないことなんですが、まだ部屋が汚いうちに次の入居者が内見に来ることもあるんです。汚れた部屋の状態を見たあと、後日掃除が終わった部屋を見て「こんなにきれいになってすごい!」って喜んでくださったりとか。そうい時はこちらもすごくうれしいし、やりがいのある仕事だなと思います。
――仕事を続けるなかで、ハプニングや印象深いことはありますか?
洋間のど真ん中に、なぜか排泄物が置かれていたりとか(笑)。あと、ハウスクリーニングの一環として遺品整理も請け負っていたので、亡くなられた方の思い出の品に触れて感じることがあったり……忘れられない光景は、いくつも目にしましたね。
音楽スタジオのバイトで活きた技術と心遣い
——バイトを続けるなかで、いつ頃からバンド活動は始めていたのでしょうか?
19歳の終わりくらいからBenthamを始めました。そのころはハウスクリーニングと、最初とは別のコンビニでの仕事を掛け持ちしていたんですけど、ふと、出窓を拭いている時に“自分が本気でやりたいのは音楽だ!”と思い立って、音楽スタジオでも働き始めたんです。
――スタジオなら吸収できることがあるはずだと。しかし、3つも掛け持ちするとは……。
さすがにキツかったですね。なので、半年くらいでコンビニのバイトはやめて、そこから5年くらいは、ずっとハウスクリーニングとスタジオのバイトを2つ掛け持ちしながら、バンド活動をしていました。ちなみに、スタジオでは僕の掃除の腕が活きたんですよ! みんなはモップで床を拭くけど、誰もいない夜中に雑巾がけをしていたら、それをたまたま見かけた店長さんが、その後、厚意でスタジオを使わせてくれるようになって。その気持ちが嬉しかったですね。
音楽活動とバイトの平行は大変だったけど、心身ともに鍛えられた
――頑張っていれば、報われるということですよね。なお、インディーズデビュー後も、バイトは続けていたのでしょうか。
レーベルに所属するようになってもお金はなかったから、最初のころはわりとバイトも入れていました。徹夜で仕事をしたあとにライヴがあったりすると声が出なくて、その時期は心身ともにだいぶ鍛えられましたね。
――多彩なバイト経験が今に活きているなと感じることもあるのでしょうか。
大学進学して就職するという道にはいかず、いろいろな仕事をしてきたので、それぞれの職種への理解の幅は広いと思います。だから、これからバイトをされる方は、幅広く経験をしてみるのもいいんじゃないかなと思います。
決められた運命があったとしても抗っていけばいいと思う
――そして4月4日にはメジャー1st E.P.『Bulbous Bow』が発売されますね。最高にキャッチーでエモーショナルで中毒性の高い作品だなと思いました。
自分たちのいいところはちゃんと残しつつ、幅を広げられた作品になりました。
――中でも、手応えの大きな曲を挙げるとすると?
「FATEMOTION」ですね。ドラマ『こんなところに運命の人』の主題歌に決定したあとに、脚本を読ませていただいて“運命”を題材にしました。ドラマのどの瞬間にもはまるようにしたかったし、そのうえで、今のBenthamや、今の僕が思っていることもちゃんと混ぜられたかなと。
――そんな小関さんの書く歌詞からは、気持ちの熱い人だなということがひしひしと伝わります。
熱すぎてちゃんと伝わらないこともあるんですけどね(苦笑)。メジャーデビューしてちょうど1年、『Bulbous bow』というタイトルは“船の造波抵抗を打ち消すために船首に設けた球状の突起”という意味で、そこには“俺らの船に乗ったままゴールを目指そう”という想いを込めているんですけど、その運命に対してモーションをかけていくのが「FATEMOTION」。決められた運命があったとしてもそれに抗っていこうという決意でもあります。
――ラストの“僕じゃダメかな ダメだよな”というフレーズには、ドキっとさせられました。
人気のあるバンドが好きな人たちに“僕らじゃダメだよね”ってチクリと刺すというか。みんながお手軽に聴くようなバンドになりたくないけど、でもならなきゃとか、なるべきだろうなとか、葛藤が含まれていたりして……。そこにも、自分らしさは出ていると思います。
――では、時に運命に抗いながら、Benthamはここからどこを目指して進むのでしょうか?
一番は、長く続けることですね。ただ、お店と同じで繁盛しないと長く続けることはできないので。メンバー4人の仲のよさを武器に、自分たちの感性を信じて前進し続けていきます!
Bentham(ベンサム)
2012年に結成し、都内のライヴハウスを中心に現メンバーで活動を開始。2015年に『VIVA LA ROCK 2015』に出演し、2,000人以上の観客を集め大注目を浴びる。?2017年4月に、両A面シングル「激しい雨/ファンファーレ」でメジャーデビュー。続く、初のフルアルバム『Re: Wonder』からは、多くのタイアップ(仮面ライダー主題歌、世界水泳CM、アニメ主題歌)を獲得した。
◆Bentham OFFICIAL SITE:http://www.bentham-web.com/
◆Bentham OFFICIAL Twitter:@Bentham_band
企画・編集:ぽっくんワールド企
撮影:河井彩美
取材・文:杉江優花