DJ日本一を決める大会「DMC JAPAN DJ CHAMPIONSHIPS 2016」にて、史上初となる満点でチャンピオンに輝き、世界大会「The 2016 DMC World DJ Championships」で世界一の栄冠をつかみとったDJ YUTO。実は現役大学生で、3年生の時に世界のトップに上りつめたのです。大学入学後から本格的にDJを始めた彼が、3年弱で目標を達成した裏には、どんな努力が隠れているのでしょう。学業との両立や目標を達成するために大切なことを聞きました。
人前で表現する場が大会しかなかったから、出場を決めた
――DJを始めようと思ったきっかけは、何だったんですか?
8歳離れた兄が、高校生くらいの時にDJを始めたんです。それから少し経って、当時中学生だった僕はピアノを習っていたんですけど、だんだん飽きてきて、違うものをやってみたいなと思った時に、DJの兄が目に入ったんです。DMCの大会のビデオを借りて、より興味が湧きました。兄がお年玉として、使わなくなったターンテーブル2台とミキサー、レコード2枚をくれて、触り始めたのが最初ですね。
――そこから今に至るまで、ずっと続けてきたんですか?
いや、実は1回DJから離れたんです。
――どうしてですか?
兄に一式もらってから、半年くらい練習したんですよ。そのタイミングで、10代のDJ日本一を決める「TEEN’S DJ CHAMPIONSHIP」って大会があって、「半年練習したから、いけるだろう」って応募しました。ビデオ審査に通って、東京で開かれた大会に出たんです。その時、初めて人前でDJをやったし、僕よりすごい人達がたくさん出ていたから、頭が真っ白になって、結果も出せなくて、すごく落ち込みましたね。「俺は向いてない」と思って、DJをあっさりやめました。
――その経験を超えて、再び始めたのは?
大学進学で、地元の青森から上京した時ですね。大学でできた友達には、クラブカルチャーに携わっている人が結構いて、DJをやってる人も何人かいたんです。クラブにも行くようになって、時間はあるし、またやってみようかなって。東京で1人暮らしを始める時に、インテリアとしてターンテーブルは持ってきていたんですよね。
――DJを再開した時には、既に大会出場は考えていたんですか?
青森から出てきて、伝手もコネもなかったから、クラブで回す機会もなかったんです。人前で表現する場が大会しかなかったので、それなら1位を目指してみようかなって目標にした感じです。
――大学生で初めて出た大会は?
2年の時に「DMC JAPAN DJ CHAMPIONSHIPD 2015」に出て、2位になりました。その時は悔しさもあったけど、頑張ったことでこういう結果がついてきたんだって感覚の方が強かったですね。
反復練習だけを続けていたら、きっとDJを嫌いになっていた
――2位になった時に見えた課題はありましたか?
技術的なこともありますけど、一番は人前に立つ経験値が足りなかったこと。大会が終わった後にフィリピンでDJをする機会があったり、2位になったことでオファーがきたりして、お客さんの前に立つことが増えたんです。その中でお客さんの喜ばせ方とか、トラブルが起きた時の対処法を覚えていきました。
――2位になった時は、慣れない人前で緊張していたんですね。
6分間DJをするカテゴリに出場したんですけど、その大会が人生で一番緊張した6分間でした。この経験があったから、今は人前にも普通に出られるし、いろんな場所にも行けますね。
――翌年に「DMC JAPAN DJ CHAMPIONSHIPS 2016」で満点優勝しましたが、その時の心境は?
素直に“うれしい”だけでした。兄に電話したらめっちゃ喜んでくれたし、親も最初は「好きにすれば」って感じだったんですけど、優勝したら「日本一になったんだ」って気にかけてくれるようになりました。身の回りの人が喜んでくれることが、何よりうれしかったですね。
――そこから世界大会に向けては、どんな準備をしましたか?
もともと反復練習って好きじゃないんですよ。でも、この時は世界大会まで1カ月しかなかったから、「1日これだけやらないと寝ちゃダメ」ってルールを決めて、ひたすら反復練習しました。世界大会は自分一人の問題じゃなくて、国の代表として行くので、僕以外のDJの気持ちも背負うんです。だから、明らかに練習不足によるミスはできないから、アスリートみたいな感覚で練習していましたね。
――いざ世界一になった時は?
最初は全然実感が湧かなかったです。開催地のイギリスから帰国して、優勝賞品の金のミキサーとか盾を見て、徐々に実感していきました。兄も「本当に優勝したの?」って、夢のまた夢みたいな感じでした(笑)。
――目標を達成するために、大切なことってどんなことだと思いますか?
意識しないことじゃないですか。僕の場合は、「絶対世界一になる!」って気合いを入れるより、流れに身を任せた方がいい方向に進んだんです。兄がたまたまDJで、東京に来たら友達もDJをしていた。その恵まれた環境に身を置いて、気張りすぎずに自然体でやってきたから、今があると思っています。あと、好きじゃないと絶対に続かない。世界大会に行く前の反復練習を1年間続けていたら、僕はDJを嫌いになっていたと思うんです。自分の気持ちに素直になることが大事じゃないかなって。
完璧な両立は難しい。ひとつひとつ集中することが大切
――DJを本格的に始めてから、大学の授業との両立は難しくなかったですか?
忙しかったし、完璧には両立できていないと思います。授業の単位を落とすこともあったし、DJの大会で負けることもありました。
――ですが、来年の3月には無事に大学を卒業予定ですよね。
完璧にはできないから、ある程度どちらかに負荷をかける時期は出てきますね。大会前はDJに全力をかけるし、テスト前は勉強に集中する。そして、移動中とか食事中に音楽を聞いたり勉強したり、隙間時間を使うようにしていました。
――DJの練習や大会出場のためには、お金も必要だと思いますが、そのやりくりは?
DJというより友達とクラブに行ったり、たまにレコードを買ったりするために必要だったから、前はアルバイトをしていました。長く続いたのは家庭教師のバイトでしたね。DJに力を入れるようになってから、バイトはやめたんですけど、貯めておいたお金でやりくりしていました。
――家庭教師って、ちょっと意外です。
教えることは好きなんですよね。全国2位になった大会の予選は、大阪で受けたんです。その翌日に家庭教師のバイトがあったんですけど、大阪に泊まってから東京に帰るスケジュールで、家に帰る時間もなくて、そのまま家庭教師をしている生徒の家に行ったんです。バイトの時はいつもシャツを着て、きちっとしていたから、大会帰りでキャップを被って、ダボっとしたTシャツにDJミキサーを背負った僕の姿に、生徒はびっくりしたと思います(笑)。ただ、その日を境に関係がギクシャクしてしまって、家庭教師はやめました(苦笑)。
――そんな結末が。
普段真面目そうな先生が急にヒップホップな格好で来たら、怖いですよね(苦笑)。
――今後は、どんなDJになりたいですか?
自分の曲を作って、ライブをしていきたいです。一般的にDJがライブをするって想像つかないと思うんですけど、今はそれが主流なんです。だから、まずはみんなに聞いてもらえるようないい曲を作っていくことが目標ですね。大会も、時間と余裕ができた時にまたトライしたいと思っています。
まとめ
大学生にして、世界を制したDJ YUTO。その素顔は、年相応の穏やかな青年で、過去を振り返りながらはにかむ姿が印象的でした。音楽に熱中し、打ち込んできたまっすぐさや熱がところどころから感じられ、インタビューの最後には「今はやりたいことのすべてが音楽につながっている」と話してくれました。何をしていても考えてしまうほど好きだからこそ、極められる。そういうものを見つけることが、大切なのかもしれませんね。
DJ YUTO
1994年生まれのDJ/TURNRABLIST。兄の影響でDJを始め、「DMC JPAN DJ CHAMPIONSHIP 2015」で準優勝。翌年の「DMC JAPAN DJ CHAMPIONSIPS 2016」で満点優勝し、続く「2016 DMC World DJ Championships」で優勝。2015年末にFacebookに投稿したパフォーマンス動画「Can’t stop/Red hot chili peppers Live Remix」が50万再生を超え、話題を呼んだ。
取材・構成・文:有竹亮介(verb)
撮影:森カズシゲ