フロム・エー ナビ ビレッジ TOP
>
ショップ開業物語 〜 OH!MY SHOP
プロフィール●もりぐちやすし/1966年、広島県生まれ。高校卒業後、1年間の美容師見習い期間を経て、アパレル販売会社に転職。紳士服の販売スタッフとして10年間勤務する。1993年、27歳のときに転勤により上京。学生時代、お好み焼き屋でアルバイトをしていた経験を生かして、お好み焼きの店を持ちたいと思い立ち、開業準備を開始。勤務先を退職し、1994年2月 に1号店を東京・神田にオープン。1998年に法人化し、神田に2号店を出店。2000年にまんが喫茶を、2003年8月、東京・八重洲にBig・Pigのフランチャイズ1号店を出店。現在、総店舗の売り上げ合計は約1億円。
お好み焼き屋 Big・Pig(ビッグピッグ)
オーナー 森口康志さん
東京で勝負したい。市場の大きさを目の当たりにしたとき、
いても立ってもいられなくなった
高校時代、最初にアルバイトをしたのがお好み焼き屋。その後、時給の高さにつられて、ガソリンスタンドやペンキ屋でもバイトをしてみたのですが、自分には飲食店のほうが向いていると思った。それからは、レストランなど飲食店ばかりでバイトするようになりました。食事に来たお客さんとコミュニケーションするのが好きだったんですね。このバイトの経験が、将来の仕事は接客業、という方向に向かわせたんだと思います。
高校卒業後、最初に就職したのは美容室。当時は、ファッションにすごい興味もあったから、美容師になろう、美容師なら接客もできる、そう思って……。でも、朝から晩までシャンプーばっかり。それに、自分が思ってた接客とも種類が違う気がして、1年で辞めてしまったんです。本当に忍耐力なかったなあと思います(笑)。今の自分なら、店一番のシャンプーボーイになってやろうとか、どうしたらもっと楽しく仕事ができるのかを考えることができるのに……。あのころは僕も若かった(笑)。
次に飛び込んだのはアパレル会社。洋服も大好きでしたから。忍耐力がないと思ってた自分が、この販売員の仕事を10年以上続けられた。それはなぜかというと、結果が数字で現れるという面白さを知ったからだと思う。自分の接客で、買う気のないお客さんをその気にさせたり、単価の高い商品を買ってもらえたり……。歩合制じゃないから、給料が成績によって上がるって訳じゃないんですけど、日々の売上高を競う勝負の世界に燃えてしまったんです(笑)。
ずっと関西エリアで仕事をしていたのですが、あるとき、東京への転勤辞令が出た。実際に上京して働いてみて、東京のマーケットの大きさを目の当たりにしたんですね。そして、自分の力でどこまでやれるのか試してみたい。この大都会で勝負してみたいと強く思うようになった。そうするためには、会社員のままでは限界がある。「独立」……。この2文字が頭に浮かびました。
自分の持っていた知識、経験を全部振り返って たどりついたのが、高校時代のバイトのお好み焼き屋だった
独立するにしても、何の商売をすればいいのか? いろいろ考えました。これまで経験してきたアパレル業界でとも考えたけど、在庫を持つ商売の大変さをいやというほど経験してきたのでパス。そこで、自分がたどってきたこれまでの人生を振りかえって思いついたのが、単純(笑)。お好み焼き屋です。高校時代のバイト経験で一通りのことはできる自信がある。それに、お好み焼きは、小麦粉など保存性の高い食材が原料。飲食業としては、在庫のロス率も低い。これが最大の理由でしたね。広島のお好み焼きはすでに全国的に有名ですし。これなら東京で勝負できそうだと思った。これまでの会社で扱っていた商品は主にビジネススーツ。会社員ターゲットは自分の得意とするところ。会社員をメインターゲットにしたお好み焼き屋をビジネス街で開こう。今思えばホントに安易な発想でしたが、当時はそれが自分の経験を最大限生かせる戦略だと思ったのです。それまでの勤務先では管理職だったので、年収は1000万円くらいありました。27歳にしては、稼いでいたほう。そのまま会社にいたら安定は保証されたかもしれないけど、勝負をかけるなら20代の今だ!そう思って、無謀にも始めてしまったわけです。
お好み焼き屋のオーナーになるなら…こんな職種経験が活かせる!!
さあ検索してみよう!
フード関連職
<
関 東
> <
関 西
> <
東 海
>
業界を知っているほうが断然有利。
販売&ファッション関連職
<
関 東
> <
関 西
> <
東 海
>
接客ができない人は、どんなに美味しい料理を出しても、お客さまを満足させることはできない。
クリエイティブ関連職
<
関 東
> <
関 西
> <
東 海
>
店舗デザインなど、アイデアが生かせると思う。
物件の仲介業者に法外な手数料を請求され予算オーバーに
だまされたとわかったのは、それから5年後(笑)
開業資金は結局2000万円かかりました。最初は、コツコツ貯めていた自分の貯金でまかなえる範囲でスタートするつもりでした。それが、開業準備を進めていくうちに、500万円足りなくなってしまった。仕方がないから、親類縁者に頭を下げて借りました。開業資金の内訳は、物件取得費に1000万円、店舗工事や什器購入費用に900万円、食材や酒類の仕入れに100万円。大幅な予算オーバーの原因は、物件取得費です。当時は現在より保証金が高かったことに加え、物件の仲介業者に法外な手数料を請求されたんです。普通、不動産屋さんへの手数料って家賃の1カ月、高くても2カ月ですよね。でも、200万円くらい取られた。当時はそれが法外だとは思わず、支払ってしまった。「もしかして、オレはだまされていたのか!?」 と、気付いたのが5年後。2号店の物件契約をしたときです。そのときは普通に請求された。バカですねえ。でも、いい経験です。これからは絶対にだまされませんから(笑)。
後ろだても肩書きもない「個人」の弱さを嫌というほど味わいました
開業準備の中で痛感したのが、社会の中での個人の弱さです。会社を辞めたとたん、これまでつき合っていた人は離れていくし、不動産会社には相手にされない、だまされるわで、世の中の嫌な部分をたくさん見ました。正直、へこみましたし、あせりました。早く店を出して、この状況から抜けたいって。あまりにあせりすぎたから、不動産会社にだまされてしまったんですけどね(笑)。ただ、一方で、絶対に森口個人として大きくなってやろうという思いが強まったのも事実。それがかえって自分にはいいバネになりました。
オープンした月の当売り上げは80万円。経営的には赤字ですが、この80万円は、森口個人に対してお客さんが支払ってくれた金額。個人の弱さを痛感しちゃった後だから、これだけお客さんが来てくれたという喜びのほうが大きかった。それからも売り上げは伸び悩みました。月の売り上げが200万円を超えて、やっと自分の給料が捻出できるようになったのは2年目に入ってから。でも、不調の時期でも不思議と辛くはなかったです。会社員時代に売り上げた数字って、自分の力だと錯覚しがちだけど、実はそうじゃない。ほとんどが会社の力なんです。でも、店の売り上げは一人一人のお客さまの支持であり、それを生み出すのは、すべて、自分たちの力。その充実感が僕を支えてくれてた。この気持ちは9年たった今も同じですね。
お好み焼き屋のオーナーになるなら…こんな職種のアルバイトをすべし!!
ホールスタッフ
飲食店にとって接客が一番大事だと思うから。
店長・マネージャー候補
従業員を雇う商売なら、人材管理能力がないと難しい。
インテリアコーディネーター
建築業界のことを知っていれば、効率よく理想に近い店がつくれると思う。
目先のお金だけにとらわれていたら、人間大きくはなれない
学生時代にいろんな職種のバイトしたことで、自分は接客が好きだということに気付いた。また、ガソリンスタンドのバイトの面接で、社長から「その長い茶髪をなんとかしろ」と言われたんです。親や学校の先生から言われても無視してきた自分だったけど、どうしても時給の高いバイトをしたかったから、髪を切って黒くした。人間って強い思いがあればなんでもできるんだって思いました。また、当時は、50円でも100円でも時給が高いバイトがいいと思っていたけど、いくら時給がよくても楽しくなければ仕事は続かないということもわかった。目先の50円、100円にとらわれていたら、やりたいことやれないし、人間大きくなれないということも知った。
でも、こういうことは、大人になり、経営者になった今、改めて思うのであって、その当時はまだよくはわかっていない。ただ、その経験や、そのときに言われた言葉はずっと自分の中に残るものです。あのとき、お好み焼き屋じゃなくラーメン屋でバイトしてたら、もしかしたらラーメン屋になっていたかもしれない。そう考えると、ほとんどの場合、自分の経験したことの中からでしか、新しいことを生み出せない。だからこそ、どんなことでも経験しておくことが大事なんだと思う。それもできるだけ若いうちにね。
Chase your Dreams!
将来はショップオーナーに!そんなキミをサポートするメルマガはコチラ!!
http://www.dreamgate.gr.jp/
■ショップ開業物語の感想は
コチラ!
アルバイト情報/フロムエー ナビ