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ショップ開業物語 〜 OH!MY SHOP
プロフィール●たけしたあきひこ/1971年、兵庫県生まれ。高校卒業後、機械メーカーに就職し、3年間勤務する。退職後、父親が経営する居酒屋を3年間手伝うが、阪神淡路大震災でその店が全壊。大阪のバーでバイトとして働き始める。3年後、店長として別のバーに転職。このころからそろそろ自分の店を持ちたいと思い始める。その後、勤務する店が閉店したのを機に独立を決意。2000年9月、兵庫県・西宮市に現在の店をオープン。
レストランバー・アズウェーブ
オーナー 竹下昭彦さん
かっこなんて気にせずに自ら進んで泥臭いことができれば、
自分にも店がつくれるかも、と思った
大工だった父が脱サラして居酒屋を開業したのは、僕が19歳のとき。ちょうど、高校卒業してサラリーマンになったころです。店を始めてからの父は、店に来るお客さんとどんどん仲良くなって友人も増え、本当に楽しそうでした。店の仕事って楽しそうだなあ、会社員よりおもしろそうだなあと、父を見て思うようになったんです。それで僕も会社を退職し、父の店を手伝うことにしたんです。ただ、父の店だったので、僕にとってお客さんは、友人というより親父がたくさん増えたって感じでしたけどね(笑)。
父からは、和食のつくり方や、包丁の使い方を教えてもらいました。よく手を切りましたよ(笑)。味は、店でお客さんたちにしごかれながら覚えていきました。まるで自分の息子に言うように、容赦なく、かなり厳しい指摘をされましたね(笑)。ですから、そんなお客さんから「よし」とか、「なかなかいい味付けになったぞ」と言われたときはうれしかったですね。そのときはよく分からなかったけど、今になって、僕はこのときのお客さんたちに育てられたんだなあって思います。
しかし、父の店を手伝い始めて1年目、阪神大震災により家も店も全壊……。本当に大変な作業でしたが、父は店を立て直したし、街もどんどん復興していった……。それまでの自分は、きれいでかっこいいことばかりに憧れていたけど、泥臭く頑張れば何しても食べていけるって思えたんです。父や復興に奔走している町の人たちを見ながら、いつか僕自身が一生懸命になれる自分の店を持ちたいって思ったんです。
自分の思い通りにやってみたいと思った 28歳のとき、自分の店を持とうと決心した
いつか自分の店を持つときのために、いろんな店を見ておいたほうがいいと思い、大阪で働くことにしました。バイトすることになった店はショットバー。お酒のボトルが500本はそろい、座席数は40席。最初はそのスケールに圧倒されました。当時、僕は24歳。仕事のできる年下のバイトに偉そうに指図されることもたくさんあって、正直いって辞めようと思ったことも何度かありました。そのたびに、「コイツよりできるようになってやる、仕事を全部覚えるまでは絶対に辞めない」と悔しさをバネにして仕事してました。そうすると、自然と自分から考えて仕事をするようになり、仕事が楽しくなってくるんです。半年後、店長から、「お前は仕事覚えるの早いね」と、ほめられたときは、うれしかったですね。
その後、別のバーで店長として仕事をして、店の経営のこともだいぶ勉強できました。でも、しょせん雇われの身。「あーしたい、こーしたい」とは思っても、なかなか自分のやりたいようにはできない。好きなようにやるなら自分でやるしかない。なんとなくですが、20代のうちに独立したいとも考えていました。そして、その店が閉店することになったのを機に、転職はもうやめよう。チャンスは今だ、と思い自分の店を持つことを決心しました。
レストランバーのオーナーになるなら…こんな職種経験が活かせる!!
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専門職/その他職種
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インテリア関連の経験は店づくり、内装に役立つ。
クリエイティブ関連職
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PCでメニュー表をつくったりHPをつくったり……役立つことはたくさんあります。
建築/土木/製造関連職
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店舗の工事をするときに役立つ。こういう勉強は、店を始めてからはなかなかできない分野だから。
絶対貸してもらえると思った公的機関から1円も貸してもらえず全額両親から借りることに
開業資金は700万円。全額両親から借りました。最初は、国民金融生活公庫(国金)から借り入れるつもりで、申請に必要な事業計画書を作成し、物件が決まった段階で申し込んだのですが、なんと、1円も貸してもらえなかったんです。事業計画書では、開業資金を1000万円に設定して、その半額の500万円を申請したんです。今考えると、経営の実績はないし、しかも若いから、国金の担当者からみたら、ずいぶん無謀な計画だったんだということがわかりますが……。でも、そのときは、国金なら絶対貸してくれると思っていたから、かなりショックでしたね。まさかゼロとは夢にも思っていなかった(笑)。
資金集めに奔走している僕を見かねて、結局は親が貸してくれることになりました。ただ、オープン3カ月目ごろに経営が苦しくなったときは、ローン返済なんてとてもできる状況ではなかったから、国金から借りなくてよかったと思いましたね。
内訳は、物件取得費に約300万円、店舗工事や什器購入費に510万円、仕入れに50万円、残りは開業後の運用資金に充てました。それも、アッという間になくなってしまいましたけどね。
オープン3カ月目から半年目までは、独立を後悔するほど落ち込みました
一番しんどかったのは、オープンして3カ月から半年にかけて。最初の3カ月は、友人や知人が来てくれて、売り上げは堅調でした。でもその後、ピタッと誰も来なくなって、売り上げは半分以下にまで落ち込んだ……。それに、一人でも気軽に来てもらえてゆっくり過ごしてもらいたいと思っているのに、お客さんはコーヒー飲んですぐに帰ってしまう。まるでファストフードみたい(笑)。「もうどうすりゃいいんだ? 」と、開業したことを後悔したほどです。でも、これでやめてしまうのも悔しいので、自分でこうしたことがいいと思えることは片っ端からやってみよう。それでダメだったらやめればいいと決めました。まず、観葉植物を増やして内装を明るく替えたり、BGMを有線で適当に流していたのをやめ、自分の好きな音楽に変えたり……とにかく、こうしたほうがいいのでは、と思ったことは全部やってみました。それがよかったかどうかはわからないけど、徐々に新しいお客さんや常連さんが増えて、売り上げも少しずつ上がっていきました。開業当初は自分の色がまったく表現できてなかったんですね。当時は誰の店でもなかった。安さや早さがウリのチェーン店ならそれでもいいと思うのですが、個人経営の店に個性がないと、誰もリピートしてくれません。思いっきり自分の個性を出せたことで、顧客が戻ってきてくれた。これからも、誰の真似をすることなく、自分の色で勝負していきます。
レストランバーのオーナーになるなら…こんな職種のアルバイトをすべし!!
インテリアコーディネーター
たくさん見ないと本当にいいものはわからないものだから。
ホールスタッフ
ホール、お客さん、調理場、全体を見て把握していないと店の運営ができない。これってできそうでできないことだから、しっかり経験しておくといいと思う。
調理補助・調理見習い
基本だけは知っておいたほうがいい。
尊敬できる先輩や店長の元で仕事してください
そして、自分も後輩に慕われる先輩になってください
一度にたくさんのお客さんが来ても落ち着いて対応する、お客さんにお酒の事を聞かれても大抵の事は答えられる……大阪でバイトしたときの経験が生かされていると思うことはたくさんあります。でも、自分で店を持つようになって、一番感じるのは、「なんで?」「どうしたらいい?」「こんなことしてみようか?」……と、自分自身で考えることができるようになったことです。これが、バイト時代に得た一番大切な思考回路だと思います。
飲食店の場合、マニュアルのあるお店が多いですよね。でもマニュアルって、従業員みんながお客さまや店のことを考えて動けば必要ないんです。考えて動く店長や先輩を見て、後輩は育つんです。これからバイトを始めるなら、尊敬できる先輩や店長を見つけて、その人たちの元で仕事を覚えるようにしてください。その次は、自分が後輩に慕われる先輩になってください。尊敬できる人に人はついていきますが、尊敬できない人には、誰もついてきませんよね。下っ端で仕事していても、逆に上になっても、毎日が勉強なんです。人がついてくる人間になってほしいですね。若いうちのバイトって、いい経験がたくさんできる人生の修業場です。上手に活用しましょう。
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■ショップ開業物語の感想は
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