人生の多くの時間を費やす「仕事」において、自分の「好き」を見つけ、その「好き」を行動に起こしていくことで、人生をより豊かなものにできるのだと思います。
その好きを見つける応援をするため、学生生活がもっと楽しくなるお役立ちマガジン「From Aしよ!!」では、さまざまな「働くヒト」に光を当て、その過去から今、そして未来について伺い、働く楽しさ、働く意義をお届けしていきます。
本連載の第3回目に登場するのは、デザイナーのコヤマシゲトさん。『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』や『天元突破グレンラガン』、『キルラキル』、『ガンダム Gのレコンギスタ』といった日本のアニメの中でも注目を集めた数々の作品に携わっているだけでなく、ディズニー映画『ベイマックス』にコンセプトデザイナーとして参加するなど、特にキャラクターやメカニックのデザインにおいて日本を代表するクリエイターとして知られています。
インタビューの前編ではコヤマシゲトさんのバイト経験からアニメ業界に飛び込むまでの来歴を中心に、後半ではその続きや仕事において気をつけていることをはじめ、コヤマシゲトさんをよく知るゲストとして同じくデザイナーの草野剛さんに登場してもらいました。
コヤマシゲトさんがアルバイト時代から変わらず何を大切にし、どのような姿勢でこれまでステップアップを果たしてきたのか。その赤裸々なお話には、アニメ業界志望者に限らず、働く人に考えるヒントが数多く含まれていました。
『人生の半分働けば充分』、そう思って29歳まで遊ぶつもりだった
──デザイナーとして活躍されているコヤマシゲトさんですが、まずは普段のお仕事についてお教えください。
コヤマシゲト(以下、コヤマ):アニメのキャラクターやメカニック、プロップ(小道具)などのデザインをしています。アニメに限らず、ゲームや、実際にあるグッズもやりますし、最近ではアートディレクションなども手がけていますが、基本的にはフィクション専門のデザイナーということになりますね。
──小さい頃からデザイナーを目指していたのでしょうか?
コヤマ:子どもの頃はまっとうに普通の会社員になろうと考えていました。でも、高校生くらいの時、学力的にもタイプ的にも「向いてなさそうだな」と思って(苦笑)。それで、デザイン方面に興味があったので、代々木ゼミナールの造形学校に通いました。
とはいえ、「デザイナーになろう!」とか明確な目的もなく、両親が化粧品メーカーで働いていたのもあって、子供の頃から化粧品の瓶やパッケージなどが好きだったし、プロダクトデザインという分野があることは知っていたので。実際にはどういう仕事かはまったくわかってなかったけど、なんとなく美大に行って、会社に入って、そういう部署を目指せばいいのかな、という……完全なモラトリアムでした(笑)。
──当時は学生ということもあって、「働く」ということはあまり意識していなかった?
コヤマ:そうですね。ちょうど予備校に通ってる頃に『ストリートファイターII』や『バーチャファイター』、『サムライスピリッツ』といったアーケード格闘ゲーム・ブームがあって。ぼくもすごくハマってしまって、勉強そっちのけでゲームセンターにばっかり通っていたら、いつのまにか受験も終わってました(苦笑)。それから、90年代中盤の22〜23歳くらいまではアルバイトをしつつ……遊び回ってましたね。
僕、10代の頃に「自分の人生を60歳までと仮定したとして、人生の半分以上を仕事をしていればとりあえずオッケー」と考えていたんで、29歳までは遊んでても良いと勝手に思ってたんです(笑)。計画的にサボってましたね(笑)。
──すごい考え方ですね(笑)。
『人と話すのって面白い』 ゲーセンから広がって就職にいたる不思議な縁
──その間はどんなアルバイトをされていたんですか?
コヤマ:いろいろやってましたよ。ファーストフード、警備、コンビニ、アパレルショップとか。学生の頃ってみんなそうだと思うんですけど、僕も例に漏れず、基本的に楽で時給が良いバイトばかり選んでたので、自分に合わないバイトもありましたね。その頃通ってた渋谷のゲームセンターには、当時、タレントやデザイナー、DJとかいろいろな職業の人が集まってて、活気があったんです。そこで知り合った人の中に、たまたまバーを経営していた先輩がいたんです。その人に誘われて始めたバーテンが楽しくて、わりと長くバイトしてました。僕、お酒まったく飲めないんですけどね(笑)。
そのお店にはいろいろな人が来ていましたし、サービス業は会話が重要とされるので、「人と話すのって面白い」ってことがわかりました。その後、ゲームとかCDとか娯楽全般を扱っているような古本屋さんでバイトをして、それが最後のバイトでしたね。
──では、その後に就職するんですか?
コヤマ:そうです。その頃、アニメはあまり見ていなかったんですが、テレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』(以下、『エヴァ』)がゲームセンターの仲間うちですごく盛り上がってて。でも、最終回近くになった途端に、急にみんなが『エヴァ』を叩き始めたんです(笑)。みんなの手のひら返しが気になって僕も観てみたら、逆に僕はすごくハマってしまって。それで、当時ゲームセンターで働いていた、漫画家の西島大介さんと意気投合して、映像ユニット「黒人コンピューター」を結成しました。『エヴァ』の同人誌をつくろうと思ったものの、2人とも美少女が描けなかったので、『エヴァ』庵野(秀明)さんたちがアマチュア時代に自主制作でつくった映像作品「DAICONフィルム」へのオマージュ、ということで映像をつくることにしたんです。
今は『水中ニーソ』でも有名なアーティストの古賀学さんと編集者・大塚ギチさんが当時立ち上げたガンダム20周年の雑誌『G2O』(アスキー)で、西島さんが執筆していた縁もあって、僕らの映像を古賀さんの結婚式で流すことになったんです。それが好評で、大塚さんから「一緒に会社をつくろう」と誘われて、UNDERSELLという会社の立ち上げに参加しました。
──UNDERSELL時代はどんなお仕事を?
コヤマ:当時の僕はただの素人だったんですが、大塚さんに「映像つくってたんだから、絵を描いてみてよ」と言われて、描き方もわからないながら言われるがままにイラストを描いたら、それがいきなり『G2O』に掲載されて。ただ、UNDERSELLの立ち上げ直後は、無名の新人にはなかなかイラストの仕事をする機会がなかったので、ドラマ版『多重人格探偵サイコ』のアニメパートの原画を描いたり、原作者・大塚英志さんのラジオ番組のADや放送作家をやったり、いろんな方の本の装丁のデザインのお手伝いなどをしてました。
その後、98年頃かな、大塚さんに連れられて、カラーイラスト持参で当時『月刊Newtype』(KADOKAWA)編集部に行き、井上伸一郎さんに「デビューさせてください」って直談判しに行ったんです(笑)。そしたら「OK!」ってことで、『月刊Newtype』で『フォー・ザ・バレル』という連載小説のイラストレーターとして起用されました。当時の『月刊Newtype』の編集部の方々も「新人に描かせてみよう」ということで、21世紀一発目の号だった2001年1月号の表紙も描かせてもらったりもしました。ついこないだまで古本屋でバイトしていたので……ビックリでしたね(笑)。
UNDERSELLでは、代表である大塚(ギチ)さんが「編集者は執筆もデザインも編集も全部できなきゃダメだ」という考え方で、イラストレーターも甘ったれないで印刷工程くらいは全部やれ、というスパルタな方針でした。だから、イラストを入稿した後も、自分で印刷所まで製版を見に行ったり、下町の印刷所でおっちゃんから業界の裏話をきいたりして(笑)。おかげで、雑誌の作り方とか出版の基礎みたいなものはだいぶ叩きこまれましたね。UNDERSELLは、編集者である大塚さんを筆頭に、イラストレーターで漫画家の西島さんとかライターの宮(昌太朗)さんとか、映像ディレクターの菊崎(亮)さんとか、みんなやってる業種がバラバラで面白い会社でした。
『トップ2!』で初アニメ参加を経て実感したのは、個人戦じゃないアニメの方が肌に合っているということ
──イラストレーターとしてデビューしたコヤマさんですが、その後、デザイナーに転向されたのはなぜでしょう?
コヤマ:僕はかなり神経質な人間なので、1枚のイラストにこだわりすぎて、1カ月に1枚しかイラストを描けなかったんです。線画もロットリングで慎重に描いて、スキャンして取り込んだ1ピクセルのゴミすらも許せなかったり、※アンチエイリアスの歪みすら気に入らなかったりして(笑)……2年くらい続けていたら、精神的に疲れ果ててしまったんです。その後、マンガを描いてみたりもしたけど、根本的にお話のつくり方がわからなかったり、これも僕には合ってなかった。
そうやって途方に暮れていた時、貞本義行さんから「アニメの手伝いをしてみない?」と誘ってもらえて、ガイナックス制作のOVA『トップをねらえ2!』(以下、『トップ2!』)に参加することになりました。貞本さんとは、角川書店の新年会とかでお会いしていて、「新人絵描きのコヤマくん」みたいな、仕事関係というよりは飲み仲間としてお付き合いをさせていただいてたんです。
貞本さんのサポートで入った『トップ2!』でアニメの仕事をやってみたら、自分にとって「これはすごくやりやすい!」と思って、そこからアニメ一本になりましたね。
──「やりやすい」というのはどういった部分に感じましたか?
コヤマ:『トップ2!』の後、テレビアニメ『交響詩篇エウレカセブン』『天元突破グレンラガン』と立て続けに関わらせてもらって、アニメ制作の流れというか、準備期間のゆったり感や納品前の勢いといったペース感や、何よりスタジオの空気感が肌にあったんです。
特に、アニメ制作は個人戦じゃないところが大きかったですね。イラストレーターもマンガ家も過酷な個人戦を強いられますが、当時の僕は個人の力としては弱いというコンプレックスを抱えていて。でも、アニメは集団作業で、パスワークでどんどん精度が上がっていく。監督の指示を受けて、デザイナーがデザインして、それをアニメーターが描いたらさらに良くなって……そういうのを目の当たりにしたときに、「集団作業って面白いな」と心底思えて。「この仕事なら、自分は続けられる」という気がしたんです。
人でも仕事でも、縁を感じるものに飛び込んでいくうちに、自分に合う仕事と出会えた
──お話を聞いていると、新しい世界にどんどん飛び込んでいっていますね。
コヤマ:ありがたい話なんですけど、たまたま僕のところに、僕がやったことがない仕事ばっかり来るだけで(笑)。でも根底に、「初めてなんだし、失敗してもいいからやっちゃえばいいんじゃね?」と思ってるフシがあります……もちろん常に成功させる気ではいますけど(笑)。初めてのことをやりたがらない人は多いですけど、僕にしてみれば「初戦」はむしろラッキーだと思ってます。
──そうやって自分に合った仕事と出会ってきたわけですね。バイトを含め、それまでの経験が生きた部分などはありますか?
コヤマ:結果論ですけど、バーテンや古本屋をやってる時も、いろいろなお客さんと出会って、しゃべることがとにかく楽しかった。僕は、一人でこつこつ作業をするのがあまり得意ではなくて。それよりも、人と話をして物事が変化していく方が楽しくて、自分はチームワーク型の人間だと気付きました。だから、「人との縁」というのがキモになっている、というのはこの20年ずっと変わらないですね。アニメでも何でも、その仕事に「縁」を感じるかどうかが一番大きいです。
人と出会って付き合っていくうちに、だんだん興味が湧いてきて、親近感も出てくる。そうしたら「一緒に仕事もしてみたいよね」ってことになる。気持ち悪い言い方かもしれないですけど、仕事って恋愛にも近い気がするんです。だから、どうしても相性が合わない人だっていますし。それは仕方ないんです。
──人の縁が大事ということですが、コヤマさんが影響を受けた方はいらっしゃいますか?
コヤマ:10代の頃は、永野護さん、安田朗さん、貞本義行さんのインパクトと影響が大きかったです。デザインというものの面白さや強さというものを教わった気がしました。業界に入ってからは、最初にいろはを教わった大塚(ギチ)さんと『トップ2!』の監督でアニメ制作のいろはを教えてくれた鶴巻(和哉)さんや貞本さんの影響が大きいですね。
あとは一番身近な人ですが、デザイナーの草野(剛)さん。仕事やプライベートから考え方まで、一番話しているし、お互いに影響しあえている関係なのかな、と(笑)
どんな立場でも言いたいことは言ってきたし、聞きたいことは聞いて吸収してきたからこそ今がある
──チームで仕事をしている中で、気をつけていることはありますか?
コヤマ:これはずっと一貫して思っていることですが、どんなに有名で権威のある人に対しても、「微妙だな」と思ったときは立場が下でも言うべきだと思っています。例えば、あるプロジェクトにおいて、監督の命令に対して誰も文句を言わずに進んだ結果、問題が起こったときに、みんな後から監督の愚痴を言ったりするケースって多々あると思うんですが、「思ってたことがあるならその時に言えよ!」って思っています。アニメは集団作業ですし、人間関係の上に成り立っているので一概には難しいこともありますが、本音を言わないまま進めると、どんどん空気が濁ってしまうな、と思っています。
──新人の場合、上司に相談していいかわからない、ということもありますよね。
コヤマ:アニメの現場でも、新人の子は「監督の席に行きづらい」って言うんですよ。でも、もったいない。近くの席にいるのに、みんな聞きに行かない。「ここはなんでこういうデザインなのか?」とか「どういう意図でこうしたのか?」とか、聞けば教えてくれるのに。
僕なんか、もう質問攻めしますよ(笑)。ガイナックスにいた時も、貞本さんや鶴巻さんに、それこそ聞きまくりました。わからないことは素直に聞いたほうが良いと思うんですよね。仮にそれで煙たがられても、人格否定されたわけではないですし、いつか自分が良い仕事をすれば、後からでも認めてもらえるはず。それは、バイトでもどこでも一緒だと思います。アドラー心理学の「嫌われる勇気」というのもありますけど、聞かないで損するよりは聞いて得をしたほうが良い、と思います。
で、そこで重要になってくるのは、いかに「敬意を持って」接するか否かですよね。敬意を持って接すれば、聞かれた相手もちゃんと話を聞いてくれます。
僕の場合、『エウレカセブン』の吉田健一さんや『グレンラガン』の今石洋之さんとか、「ベストが尽くせるのであれば、年が上だろうが下だろうがなんでも意見を聞くよ」という人が周りに多かったので、そこは本当に恵まれていたと思いますね。
──上の人に自分の意見を言うためにも、本音を言い合える人間関係を構築すればいいということですよね。
コヤマ:そうですね。だから、結局それもコミュニケーション力とか人間関係なんですよ。
──アニメ業界の人やデザイナーさんは個人作業というイメージが強いけれど、そうじゃない、と。
コヤマ:個の力が圧倒的に強い孤高の天才みたいな人ならいいのかもしれないですけど……そういう人はあまりいない気がします。業界の先輩で、子供の頃から憧れていたような大御所の監督やデザイナーさんでも、実際に会うとものすごく柔軟で、サービス精神にあふれて、人付き合いもめちゃくちゃうまい。そういう方々を見ていると、みんな一人でなんとかしてるわけじゃなくて、人と人との関係性があった上で伸びていった結果なんだなぁ、というのがわかります。
ここまで、コヤマシゲトさんの来歴を中心に、アルバイトからアニメ業界参加の経緯などをお届けしてきました。
続くインタビュー後編では、コヤマシゲトさんがバイト時代から大切にされていることや、同じくデザイナーで盟友の草野剛さんへのインタビューを通して、「デザイナー・コヤマシゲト」の魅力と、そこから見える「デザインの思考法」について考えていきます。
企画・取材・構成:須賀原みち、新見直(KAI-YOU) 撮影:市村岬
後編はこちら>>デザイナー コヤマシゲト インタビュー後編「デザインは、食事を美味しく食べることから」
※この記事は>>KAI-YOU.netが企画制作したものです。